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――まさにドリキャス生産中止の発表をしている時、竹崎さんは何をやってました?
竹崎 記者会見の場にいました。当然そのときは既に知っていましたから……。
――落ち込んで帰るとか、なかったんですか?
竹崎 発表したのが1月31日の夕方ですよね。その場にちょっと遅れて入ってるんですよ。その直前までファンに向けたセガからのメッセージ文を作ってました。「今から記者会見の場に行くから、会見が終わった直後にアップしてください」と指示して記者会見の場に向かいました。
――それはセガのHPに?
竹崎 はい。
――そのメッセージは竹崎さんが個人的に作ったんですか?
竹崎 僕が提案しまして、経営陣に認めてもらったカタチです。メッセージはファンのためでしたが、僕自身の気持ちの整理の意味もありました。
――最初の質問に戻りますが、ドリキャス生産中止の場面を詳しく教えてください。
竹崎 まず去年、僕がまだ知らなかった時点で、香山さんと開発主要メンバーが話し合っているんです。ハードにこだわってやっていくと、毎年何百億と赤字がでていくと。つまりキャッシュフローがあるうちはいいけど、お金がなくなったら会社はもたなくなるぞって。それで昨年秋に他機種のゲームも作るって発表したんですね。それ(他機種参入)はすでに役員構成が変わった9月以前に準備を始めてたんです。去年の秋の時点では、ハードの拡販をしつつ、他機種でもソフトを出して小銭を稼ぐというやり方で赤字をカバーしようとしていました。それと特にアメリカの年末商戦には期待をかけていました。プレステ2とも値段が違うし、いけるんじゃないかと。逆に言えばこれでダメだったら、どうしようもない。社長たちのミーティングでは、もしアメリカの年末商戦でこけたら、セガはハードとともに心中するのか、それともハードをあきらめて復活を目指すのかというとこまできていたようです。
――そりゃ、こけると思って勝負はしませんよね、普通。
竹崎 でしょう。だから莫大な数のドリキャスを作りアメリカの年末商戦に投入したんです。結果は……アメリカの景気が急速に冷え込んだとかいろいろ言われていますが……実際プレステ2は売り切れになり、ドリキャスは在庫が死ぬほど残ってしまった。苦しい中からプロモーション費を捻出して、優先的にアメリカにプロモーションを打ったにもかかわらずですね。それで、もう終わりだということが12月末の時点で見えてきたわけです。
――いよいよせっぱつまったわけだ。
竹崎 ドリキャスはナンバーワンフォーマット、つまりプレステに勝つことを念頭においていたんです。つまり国内で早急に1000万台売るという体制ですね。流通システムも1000万台体制ですからそれが達成できないと非常に苦しくなる。結論として、アメリカの年末商戦勝負に失敗した今、もう一回勝負ができるのかと言ったらできない。在庫を抱えてこれ以上、ハードを作るとさらに首がしまるという状況になったわけです。僕がそういう状況をきちんと説明うけたのは、年末休みの直前です。セガの状況はやばい、と。子会社や分社では、当然他のハードに対応していましたが、本社で僕のような現場にまでそういう話が降りてきた。このままでは会社がやばいという。……だから、最初の質問で落ち込まなかったかと言うと、僕は年末年始の休み中落ち込んでいました。社員は次々やめていく。やめていった偉い人から、「(新しい)うちの会社で面倒みてやるから心配するな」とか一方的に言われて、もう散々な気持ちだったし。そうですね……理解できない、自分の中でどう消化していいか、わからなかったです。悔しかった。だってドリキャスは世界一を目指したんですから……。
――竹崎さんはセガマニアですが特にセガのハードのマニアだったんですか?
竹崎 ハードに愛着があったわけではないと思います。セガの作るプロダクツが好きだったんです。そういう意味ではハードも好きだった。セガマニアと言われている人たちっていろいろいますけど、僕みたいにメガドライブから入った人が多いんじゃないかな。そこそこ面白くてアメリカでは売れているのに、なぜ日本じゃ売れないんだろうって。だったら、応援してあげて勝たせてあげたいって思ってファンになるというパターンですね。
――サターンはプレステに継いで2番テですよね。シロート考えですけど、500万台売ったら、あとは細々と作りつづけていけばよかったんじゃありませんか?
竹崎 いや、だめです。セガサターン末期の頃は商売になっていませんでした。ナンバー2でソフトが売れるということはないし、ナンバー2にライセンシーの著名なソフトが供給されるということもないんです。
――でも、サターンのときも今回も、セガファンは最後まで負けたと思ってませんよ。
竹崎 はい。……でも負けたと思っていなくても2番テになったのは事実なんですから……。セガサターンでいいとこまでいったんだからもう一度セガサターンでできなかったことを追求して、新ハードに賭けてみるか。それともここでやめてしまってプレステにソフトを供給すればいいのか、という議論はドリキャス誕生前に当然あったんです。
――でも、だからと言って最初からプレステと同じ(流通の)対応をしたというのはムチャだったと思います。
竹崎 まぁねぇ(苦笑)。それはそういう決定を当時の経営陣は下したわけですし、開発担当者の中には今でもドリキャス2を作るべきだという声もあるわけで、ムチャかどうかはやってみなければわからない。そのときはそういう「想い」が強かったんです。これは今だ忘れられないんですけど、当時の入交社長が「もう一勝負できる。それをするかしないか。すると決まったら全力でドリームキャストを立ち上げる」とおっしゃったんです。でも、結果、負けてしまった。最初からソニーと闘う力なんてなかったんだと言われればそうですが、それは結果論で、その時、できうる限りのことをしたけど、負けた。ハード買ったお客さんに言わせると、やはり自分が買ったハードは一位になってもらいたいわけです。そうすれば全てのソフトが自分のハードで動かせるんだから。「ドラクエ」「FF」がどっちに来るのかという話があったときに、プレステに行くと決まったら、なぁんだって……セガどうしたんだよって声があがりましたよね。
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