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石井隆 石井 隆(映画監督)
1946年宮城県生まれ。早稲田大学商学部卒業。劇画家、映画監督。リアルな描写で人気劇画家として活躍後、83年、映画監督としてデビュー。以降『死んでもいい』『ヌードの夜』『GONIN』『黒の天使 シリーズ』『フリーズ・ミー』と話題作を撮り続けている。初の音楽プロモ映『TOKYO G・P』。また、97年、制作プロダクション、ファム・ファタルを設立。
石井隆

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――酔ってるんですか?

石井 この歳で妻に先立たれて、淋しくてね、毎晩酔ってるよ。

――酔いつぶれないうちに(笑)伺います。なぜ、売れっ子劇画家から映画監督に転進されたんですか?

石井 売れっ子(苦笑)。プラチナのブレスレットに、ロレックスして、そんな頃もありましたね(笑)。

――失礼ですが、監督になって劇画家と同じ収入は得られないと思いますが?

石井 うん。それは、始めて監督の注文があった時、相談した友人の監督からも言われたましたよ。でも、いつも言ってるけど……エロ劇画家って言われるのって……。

僕の考え方だと、エロ劇画って女性蔑視なんです。そういう範疇があって、それで慰められる人もいますから、エロ劇画というジャンルを否定はしませんが、でもそれで一括りにされたくなかったんですよ。

僕の作品をひとつひとつ検証してくれればわかるけど、僕のは蔑視じゃなくて、ただ讃美するのでもなくて、対等に喧嘩する、というか、……。讃美って、裏返しのポルノじゃないですか。美しく,美しく崇めて、それを陵辱する……とかって。パターンですよね。男はそれで日々のストレスが癒される、と幻想する。僕にもそういう欲求はありますが、自分が描くとなると、その発想が結果として出て来ないんだ。悪いけど……。全部そう。

男尊女卑の壁を打ち破って自立していく女を描いて来たんで……。名美ってそういう女なんだよ。なんか、男の好きそうなのけ反り顔するからって、綺麗な女はのけ反ったって綺麗なんだから、そう描いただけだよ……。男の暴力がいかに女を傷つけるかを描いてきたのに、原因としての男の性的暴力を描いたらエロ劇画としてしか見られなかった。

漫画、劇画はね、子供文化が起源ですから、女と男の関係を性を通して描くとか、性そのものを描くとか、必要が無かったわけですよ。男は夢を追う少年で、女は子供を産んで家を護る生き物、という旧態依然の描き方で好かった。で、つげ義春さんとか現れて学生時代、僕なんかは夢中になったんだけど、一方で『巨人の星』も読んでたし。でもね、僕が子供の頃から潜り抜けて来た映画や文学では当たり前なんですよね、僕のように女と男を描くのって。たまたま劇画だったんだけど、不思議な感じじゃありませんか?10年、20年と自分がやって来たことが理解されないっていうのは。

――媒体がエロ劇画雑誌だから、理解されなかったんじゃありませんか? それで嫌気がさしたっていうのはおかしいです。

石井 そうかなぁ……。『エロ劇画』って蔑称としか僕には思えないんだ。僕にはそういう雑誌に対する偏見は子供の頃から無かったから、大学在学中からそういった雑誌で仕事をしていたんだけど、『事件劇画』という実話雑誌の劇画版みたいな奴でね、世間ではエロ雑誌と呼ばれて差別されてたけど、若いくせにヘンな匂いのする物を描くって、僕の抜けもしない下手糞な劇画でも使ってくれたし、エロというよりアナ―キーだったね。当時のを読んで貰えば分かるけど、エロとは言えない、なんか変な劇画を描いてたんだよね。

それに『ヤンコミ』(ヤングコミック)っていうのは、当時、最高に過激に突っ張ってたコミック誌で、エロ雑誌なんて言ったら怒られますよ。そこで描いてたのが『天使のはらわた』なんだけど、そのときに、それ以前にやってた『事件劇画』とかの過去を引き合いに出して今話題の石井隆は「三流エロ劇画家」って言ったヤツがいて、マスコミがそのネーミングに飛びついたんだ。早稲田出てエロ劇画描いてるって。当時そういう人、いなかったからね。それで面白がられたんだけど、そのときメジャー誌から来ていた話が全部中止になった。「レイプばかり描いてる」とか「SMばかり描いてる作家」だろうってことで、全部キャンセル。今の若い人は信じられないだろうけど、当時のメジャーコミック誌はエロもんは厳禁だったんだ。僕がいくら「天使のはらわた」は(メロドラマであって)エロ(ドラマ)じゃないって言っても、通じない。一度暴走しちゃうとね。

――エロ劇画といわれるもの以外に描けなくなってしまった?

石井 エロは当然嫌いじゃないですよ。SEXは描くに足る重たいテーマだし。でもフツーの劇画家として、いろいろなジャンルを描きたかったわけですよ。アクションとか青春モノや時代劇……そういう注文が全く来なくなった。来るのは「もっと過激なエロを」っていうのばかり。

――エロ劇画家じゃないのにエロ雑誌にしか描けない状況だ。苦しいですよね、作家も編集も。

石井 僕のを載せても最後はしぼんじゃうよって言っても、エロ雑誌の編集者はそれでいいからって。彼らも僕の作風は知ってて、「うちは単なるエロ雑誌」じゃない証に僕を起用したかったのかも知れないけど。僕が表紙に出たり巻頭に来たりすれば部数が伸びた頃もあったし。でも、読者はそんなの望んでないでしょう。最後の最後で抜けないんだもん。

――編集者のエゴで石井さんを求めた。

石井 そういう雑誌の読者って、やはりストレートなものを望んでる。それで人気がないとか編集者がぐちりだすとね……行き場がないじゃないですか。そういうことが続いたんですよ。

――結果的に編集側から切られたから劇画家やめた、と言うことですか。

石井 いや、違う。現場の人たちは応援してくれたしね。でも、人気がない。現場の人たちだけで雑誌作ってるわけじゃないですから、売れ行きが落ちたりするとまずいじゃないですか。それで僕が申し訳無く思って除如に断って行った。自分で自分の居場所を狭めていったわけです。でも、それが僕の礼儀なんですよ。

――今も描いてればよかったのに。エロ劇画って言葉が死語なんですから。うまくやれたかも知れない。

石井 死語じゃないよ。『まんだらけZENBU』という古本とおもちゃのバイブルみたいな雑誌があるでしょう?そこでエロ劇画家特集を組もうと思ったとき、まっさきに「石井隆」の名が浮かんだ、ってそうリードに書いてる。インタビュー受けたもん(笑)。

――そうなると、根は劇画。やはり石井監督の映像は劇画的ですね。

石井 そうでもないと思うんですよ。その言い方だと、劇画と映画を明確に別けてる感じだけど、劇画初期の貸し本時代の人たちはどこかしら映画をパクッてますよね。映画が憧れだったんです。全部とは言わないけど映画への憧れから劇画の構図とかストーリーが出来て、未だ続いている。映画だって、劇画を原作にしたり、ちょっと奇抜なアングルだと劇画っぽいと言われるし、映画との双方向の影響は否定できないじゃないですか。僕の作品が劇画的に見えるのは、ダイナミックな映像作りが身についているからだと思うし、子供の頃見ていた映画の影響とか、どうしても自分で撮るときに出て来ますからね。絵の好きな少年だったからね、力強い画が連続する手の映画に見取れて行ったんですよ。映画監督になるんだって、ガキの頃から。



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